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「保守」はなぜ力を持てないのか?

  • 執筆者の写真: 悠樹 阿部
    悠樹 阿部
  • 2021年8月22日
  • 読了時間: 4分

正論でも実現できないことがある。

それは、「保守」「右派」などと呼ばれ、社会と、世界と疎外されてきた私たちが、今年で76年目を迎える戦後政治において、骨身に染みて知らされてきたことである。


この悔しさと向き合いながら、それでも着実に私たちが住まう国を改良するためには、どうすればよいだろうか。


倉山満さん(現・救国シンクタンク所長)はこう考える。「(天皇陛下には8月15日に参拝してほしい、と靖国神社が宮内庁に申し入れたとの報道に対し)時宜にかなっていない正論は、単なる愚論よりも質が悪い」(*)と。


(*)「だれが天皇の靖国参拝を阻止しているのか」 2019年8月15日付

残念ながら、記事が掲載された媒体のiRONNAはすでに閉鎖されている。


私はこのような一方的な態度には納得がいかなかった。だが、それを読んだ当時は直ちには応答できなかったので、胸中にしまってあった。それに一応の答えを出せたので、今ここに認める。


時宜を得ない正論を唱える側は、正義を外れて私憤に陥らないように注意せねばならないし、現実政治を遂行する側は、ある種の後ろめたさを自覚しつつやるべきだろうと思う。

明治政府 v.s. 民権の頃はそのバランスが比較的取れていたように思うが、今は理想を高唱する側と、現実政治を遂行しようとする側が互いに我を張っているせいで、国家が立ち行かなくなるほどに、有為の士が分裂していないだろうか。他者の賛同を得られず、実行できないなら、それは些かも現実的ではない。


“保守”が敗戦を無念とする共同体で、”リベラル”が過去の日本を悔恨する共同体であるなら(*)、前者は不当に押し付けられた法体系の下で、本質的に反体制派であるはずである。


(*)無念共同体と悔恨共同体については、竹内洋『革新幻想の戦後史』


だが、冷戦期には共産化によってより悪しき制度を押し付けられる危険があり、そのために保守は日米安保を基調として、戦後国際社会の「現実」と妥協した国家運営をしてきた。それは当時としては賢明な選択だったし、ソ連という巨悪を打倒することに日本も寄与したことは誇ってよいと思う。

だが、憲法や歴史などの真理、原則をめぐる領域で譲歩し、政治で実を得るというやり方は、「保守」を賢しらにし、初心を忘れさせてしまったのではないか。

こうして、左翼に与するわけではないが、保守にも理想を見出せないという国民を、無党派層に追いやっていないだろうか。


ここで、勝利だけなく原則にもこだわって、職業的な政治家(活動家)だけでない幅広い賛同者を得ることで力を持つことができた、異国での成功例を想起したい。当の救国シンクタンクが鑑としている、米国の保守運動だ。(*)

「自由の擁護において過激主義は少しも悪いことではない。正義の追求において節度は少しも美徳ではない。」(ゴールドウォーター)


(*)リー・エドワーズ 『現代アメリカ保守主義運動小史』参照


偉大な変動が起こるときに、人々は「でも…」「だって…」と愚痴を言うだろうか?「現実主義」が専門知に引きこもって優越感に浸ることであるなら、時宜を得ないと言って真率なる正論を見下すことであるなら、善良な市民には必ずやその足元を見透かされるだろう。


私たちは、「日本国憲法」などを以ってする体制側の現状正当化(正統化)に対して、はっきりとその虚偽を糾弾して抵抗しなくてはならない。

保守は物わかりのよい現状追認をやめて、要求する側にならなくてはならない。敵のアジェンダに不本意ながら追従することをやめて、アジェンダを突きつける側にならなくてはならない。


それこそが、8年弱も政柄を執りながら、戦後体制に局促してろくな進歩を遂げられなかった安倍政権の、真の反省であるはずだ。(*)


(*)民主党政権が倒れて、第二次安倍政権が誕生したのは、私が高校生の時だった。私は生い立ちからして戦後体制をやってきた大人たちの俗悪ぶりを知っていたし、それに比して悪い時代にも節を曲げなかった少数の言論人の義は明白だったので、随分と舞い上がったものである。

だが、当時は未熟だったのでそこに馳せ参じて何か行動したわけでもなかった。また、戦後体制の内実を詳細に知るにつれ、自らを伯夷叔斉と屈原に擬えて(かといって即座に死ぬ勇気もなかったのでこうして生き長らえているが)、ますます世を厭うようになっていった。

なので、私には安倍政権を支えた人々も、それを批判して新しい運動を興した人々も、非難する資格はないのである。

ただ、書斎で建設すべき思想に区切りをつけ、政治参加を再開するにあたって、既存の運動を他山の石として指針を明らかにしたまでである。

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2件のコメント


悠樹 阿部
悠樹 阿部
2021年9月21日

メモ

保守は安全保障や経済など「みんなのためになること」を優先してきた。 左翼はイデオロギーとアイデンティティ、「勝つか負けるかのこと」に注力してきた。 保守が負け続けてきた因由。

私たちは左翼特権者たちに権理を奪われているにもかかわらず、「国」や制度を維持する負担は負わされているという歪な構造がある。いい加減に「みんなの利益のため」に気を配るよい子ちゃんの軛から自由になり、「普遍的正義のため」を貫徹すべくイデアの世界に羽ばたく必要がある。

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Hiroyuki Ohe
Hiroyuki Ohe
2021年8月24日

阿部君 拝読しました。まずは我々の活動を進めていきましょう。

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