「日本第一」を考える
- Hiroyuki Ohe
- 2020年9月7日
- 読了時間: 3分
我が国の政治を考えるのであれば、その理念は「日本第一」になるのは当然である。
悩ましいのは、何をもって「日本第一」といえるのか、またいえないのかという具体策である。
最大公約数として述べれば、それは国家の安全及び繁栄ということになろう。しかし、最大公約数を掲げることは、進まない政治を作りかねない。むしろ反対者がある重大な問題こそ「日本第一」の策として掲げるべきである。
憲法改正は、反対者がいる重大な問題である。しかし、憲法改正という言葉それ自体は空虚である。70年前の憲法改正といえば、「天皇条項の廃止」も一つの話題であった。「国防軍の創設」といわなければ、「日本第一」の策として掲げる看板にならない。
消費税などの税や社会保障などの財政政策はどうか。
国家統治において、税や財政政策は、国家の衰亡を直接招く話題であるから重要な話題だ。国民からすれば、税は少ないに越したことはない。他方で国家からもらえるものがあれば、もらいたいというのが正直なところであろう。矛盾した気持ちを抱くのは、税や財政政策においては、国民と国家は利害が対立し、また国民同士も対立するからである。
私は、国民同士が対立しうるようなリスクを考えれば、国家は必要な場面に絞って、税を取り、財政政策を打つべきではないかと考える。政府だけが社会全体を豊かにするのではない。国民の力を存分に発揮できる環境を整えるのが政府の役目ではないか。
特に一人一人の国民が行き場を失うことがないよう配慮しつつ、税も財政政策も控える方向に進むべきではないだろうか。
外交政策をどう考えるか。
現代は、150年前とは比較にならないくらいグローバル化が進んでいると共に、中国が「眠れる獅子」ではなく、文字どおり起きて世界中に狩りに出ている。
地政学的見地に立てば、中国が拡張政策を打っている以上、台湾との関係強化は必須である。我が国は台湾を守る姿勢を強く打ち出すべきであろう。
20世紀から21世紀にかけて、我が国の国防体制は、米国との関係なくして語れない。米国との縁を切るのはとても現実的であるとはいえない。しかし、日米同盟を維持することは、外交政策もまた米国追従となることを意味する必要はない。
拉致被害者は取り戻すのが筋である。
しかし、北朝鮮に我が国が軍隊を送ることとなれば、今以上に戦争局面を迎えるだろう。
ただし話し合いだけで戻ってくるものでもないはずだ。北朝鮮の内情をキャッチアップし、拉致被害者が戻ってこられる場面を探らなくてはならない。
以上の見解は一部かつ暫定的なものである。
私自身の至らぬ点もあり、情勢によって変動的なものでもある。
戦後体制を解くほぐさんとする皆さんと共に「日本第一」とは何かを考え続けたい。
皆さんとの考えた成果は随時アップデートすることとしたい
令和2年9月6日 大江 弘之




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