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福田恆存『言論の空しさ』

  • 執筆者の写真: 悠樹 阿部
    悠樹 阿部
  • 2025年3月26日
  • 読了時間: 5分

私がやりたいことと能力(知識)とのギャップを考えたときに、日本思想、特に近代日本思想を原書に基づいて知らなすぎることが問題だなと思った。


私の関心と文章のとっかかりやすさからして、福田恆存による国防を主題とした評論から始めるのがよさそうだった。彼の著作は評論集が二冊手元にあるのみなので、ぱっと開いて主題と言わないまでも国軍について言及している論説を読んだ。


以下、そのメモである。


「私の平和論批判や安保騒動批判が正しかったから、その論理の正しさによつて世の中が變つたのではない、世の中が變わつたので、私の考へ方が正しかつたといふ事になつただけの話である。」


いわゆる保守派は事実レベルで正しかったかもしれないが、それを思想・言論レベルの勝利として勝ち取ることはできなかった。

そのために戦後レジームが続いており、出来事と言論が乖離したおかしな状態に私たちは置かれ続けていると言えそうだ。


「しかし、防衞論はもはやタブーではなくなり、自衞隊强化論も大ぴらに言へる樣になつただけではなくいかと言ふかもしれない。が、それは私、或は私と似た樣な考へ方をする人々の言論が新聞、雑誌に多く載り、つい最近まで自衞隊、日米安保否定であつた野黨までそれに同調するのは樣な考へ方をする人々の言論が新聞、雜誌に多く載り、つい最近まで自衞隊、日米安保否定であった野黨までそれに同調する樣になつたのは、專らソ聯のお蔭である、ソ聯が日本人の「國民意識」を變へたのであつで、私達の論理の勝利だなどと夢うぬぼれてはならない。引かれ者の小唄の樣だが、平和主義を叩き潰せたのはソ聯の兵器であつたといふ事實くらゐ、平和主義の虛妄を證明し得たものは無く、またその虛妄を批判する言論の空しさを露にしたものも無い。」


つまり、私たちは敵が邪悪であることを感じ取ってはいるが、自己の論理を知らないということである。


>韓国で左翼は生態系を形成していて、左翼のスピーカーになれば、とりあえず生計を立てることができる。しかし、右翼は、各自が営業マンで、自分の力のみで何とかやり繰りしていかなければならない。左翼は団結する反面、右翼は互いに競争する。左翼はパワーがあって、右翼はパワーがないわけだ。


>それは日本も全く同じです。多くの保守は”手弁当”で活動でしています。


私たちは戦争に負けた結果として「思想改造」を強いられ、公職追放や新組織の設立によって言論・教育業界に左派のヘゲモニーが構築される一方、左派でない思想は基本的にディレッタントがやるものになってしまった。

左派は左派であることが仕事になっており組織で分業しているが、右派は各人が好き勝手なことを言ってまとまらない。

これがわれわれの座標軸だと言えるものがないので、個々でよいものを書いているとしても、公教育やマスコミを通じて拡散する力、いわば思想を公共のために用いる力が弱いと言わざるを得ない。

確固たる思想を持つに至らない多数は、左派がおかしいのは分かっているが、かといって右派が「われわれの思想はこれだ」と示していないので、言論レベルでは戦後レジームという現状を甘んじて受け入れているという状況かもしれない。


「自衞隊自身も、法網を潜ってもいい、とにかく現行の當用憲法により合憲として認知されたいといふな樣ないぢらしい、或はさもしい根性を捨てた方がいい。

私が何より惧れるのは、さういふ根性から自信と責任感と誇りを持ち、國民に信頼された國軍が生れる筈が無いといふ事である。二三年おきに輿論調査をして、その支持率を問はねばならぬ樣な軍隊は世界の何處にも無い、それは軍隊とは稱し難く、たとへ自衛隊といふごまかしの名稱を以てしても、やはりその名にすら値しないであらう。この際、私は提案する、いつその事、政府、國會、裁判、警察制度などについても、「現狀で行く」か、それとも「强化」「縮小・廢止」 いづれにするか、四年毎に大規模な輿論調査を實施して見てはどうか、結果がどう出るかは別として、人々がその必要を自明の事として疑はない事を私は不思議に思ふ。國防についてのみ憲法に照らして、その必要と限度をと國民に問ふといふのは、やはり憲法自體が國防を自明の事としてゐない何よりの證據ではないか。

それでも保守派の憲法學者は勿論、米ソ、陰陽の外壓を利用して防衛力の増強を主張する政治學者、言論人の殆どすべては自衞隊合憲を自明の事とし、共産黨の違憲論を叩きながら私の違憲論は默殺する。そのうちの一人が正直にかう言った事がある、「本當は君の言ふ通りさ、しかし、今それを言っても通用しない、それどころか逆に叩き潰される。といつて心配は要らない、時が來れば憲法など何處かへ吹飛んでしまふ。さうすれば、自衞隊は堂々と國民の前に姿を現すよ」よと。

大方の考へは、まあ、そんなところだろうとは思つてゐたが、はつきりさう言はれると唖然とする。時が來てからでは間に合はない、なるほど國民の前に堂々と姿を現すかも知れないが、その數日後、數週間後、外敵の前に堂々と姿を現し、堂々と戦へるであらうか。それはともかく、この友人の言葉は見事に日本人特有の考へ方を裏切り示してゐる。詰り、法は、そしてまた論理とか理想とかいふものも、現實を扮飾し糊塗する爲のアクセサリーに過ぎぬといふ考へ方であり、隨つて、さう言った當人自身は意識してゐるかどうか知らぬが、憲法そのものは勿論、護憲論も改憲論も、その他あらゆる言論について言へる事は、それによって現實が牽制され動かされるのではなく、その反對に現實が自ら變化する事により、その力に牽制されて言論が動かされるのだ、人々はさういふものと納得してゐるのである。」


“現実主義者”は思想など放っておいても物事は成るように成ると考えているかもしれないが、私たちの国軍が何のために戦うかを言語化し、それを共同の意志にして立法しないまま敵が攻めてくるのでは、国防も何もあったものではない。

戦う理由がないのも危険だし、各自がバラバラの考えで行動しているのも危険である。


最後に。

「戰後の日本人はつひに本氣といふものを喪失したとしか、私には思へなかった。」

原典生には本氣がまだ残っているどころか、溌剌としている人もいるように見受けられるので、そこから汲み取れるものは学ばせていただきたいと思いました。

 
 
 

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