なぜ保守は西洋に学ぶべきか?
- 悠樹 阿部

- 2021年6月24日
- 読了時間: 2分
更新日:2021年8月26日
戦後「保守」と呼ばれる少数精鋭の思想家たち(*)は、西洋思想、とりわけ実存主義の精髄を体得していました。渡部昇一はエマーソンを、西尾幹二はニーチェをやっています。小堀桂一郎も、和辻を通じてニーチェとキルケゴールを知っています。
(*)戦後日本における「保守」はもともと、左翼畜群が独立して思惟し、行為できる少数者に貼ったレッテルです。思想家が蔑称に積極的な意味を見出して自称にするのは、よくあることです。
なぜ、西洋思想を体得した者だけが、戦後体制を否認することができたのでしょうか。それは、西洋の<legitimacy>が不正な権力に断固として抗うのに対して、東洋の<天>は強い者に天命だといって従う発想だからです。西洋思想を専攻していても、それを血肉にして西洋の市民となることができず、東洋の庶人にとどまった者は、小堀が言うところの<強者への迎合>に終始し、戦後左翼となりました。
ニーチェは正義を嘲笑したし、市民になることも拒んだという向きがあるでしょう。ですが、彼が罵倒して已まなかったのは正義の観念であって正しく生きることではないし、ドイツ市民であることを拒んでもギリシア、ローマの市民にはむしろ憧憬を持ちました。古典古代における僭主殺害を想起してください。
なお、東洋の<天>も、自らを士大夫と規定するならば、積極的な意義を持ちえます。それは、漢籍を繙けば明らかです。(*)問題は、日本人が西洋思想を輸入するに際して、西洋の市民を東洋の庶人と同一視し、市民になったつもりで庶人になってしまうことに存します。凡俗だとそうなるし、人間の圧倒的多数は凡俗です。西洋思想に耽溺した凡俗、それが大正教養派であり、戦後左翼です。私たちが目指すべきは、東洋の士大夫と西洋の市民を兼備した<超人>です。
(*)「冊子を披繙すれば、嘉言林の如く、躍々として人に迫る。
...苟しくも讀みて之を行はば、則ち千萬世と雖も、得て盡くすべからず。」
(吉田松陰「士規七則」)
最後に、たとえば出隆のごとき小人が「戦争協力」をしていたからといって、開戦の詔書に示された大東亜戦争の大義は些かも損なわれることがありません。むしろ、敗戦までは小人も所を得ていたのに、戦後になって左翼に加担し下流に居ることになってしまったのです。




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