エマーソン Self-Reliance
- 悠樹 阿部

- 2021年6月24日
- 読了時間: 2分
更新日:2021年8月4日
予は先日、抜群の画家が書いた、型破りな詩を読んだ。そこから奔流する情趣は、そこに含まれるいかなる思想より尊い。主題が何であれ、予が魂はかような詩からある訓戒を聞き取る。
汝が思想を信じ、汝が心に真理であることは万人に真理であると信ぜよ、そが天才である。今の確信を語れ、さすればそが普遍の道理となる。言論とは、本然の自己が時宜を得て表に現れたことに他ならないのだから。われらが初心は、最後の審判のトランペットの音とともに、われらに帰ってくる、と。
精神の声は万人に身近に語りかけているが、われらがなおモーセ、プラトン、ミルトンに最大の徳を認めるのは、書物と伝統とを鴻毛より軽んじ、他人のではなく自らの考えを語ったからである。吟遊詩人と智恵者たちが放つまばゆい光に目を眩まされることなく、己の内より出ずる一筋の光を注視することを知らねばならない。
それだのに人は、自らの思想が自らのものであるというだけで、それに目を止めもしない。われらは天才の作品に、その却下した思想を見る。われらの当初の考えは、ある疎外された偉大さを伴って、われらに帰ってくる。
われらが偉人の作品から読み取れる教訓は、これより大なるはない。皆が反対側で大声を上げているときにこそ、ユーモアに満ちた不動の信念で、内発的な実感に踏み止まるべきことが分かる。さもないと、明日にでも見知らぬ誰かが、われらが日ごろ感じ、考えていたことを巧みに述べるだろう。そして、われらは恥じらいながら、自分の考えであったはずのものを、他人から受け取らざるを得なくなる。




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