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ジェンダーについて

  • 執筆者の写真: 悠樹 阿部
    悠樹 阿部
  • 2021年5月24日
  • 読了時間: 1分

更新日:2021年5月24日

ジェンダーを云々する政治は、今のところ、私たちに不正義と不幸しかもたらしていない。

political correctnessは、言語体験の恣意性、他者の他者性を無視して、国家宗教の記号を押し付ける権威主義である。

identity politicsは、個の権利を破壊して集団に特権を与えるとともに、人間を単一のアイデンティティに拘泥させることによって、その精神を呪縛する。


それでは、君は「自生的な秩序」に身を任せて、君の知らぬ何かが君の主体を構築することを肯ずるのかね、とconstructivistは言うだろう。

もちろん、思想家としてはそのようなドクサには満足しないものである。

男女の別を解消しようと思ったら、まずは男性的なものの極致と、女性的なものの極致を知る必要がある。つまり、西洋のファロソフィーと、日本のなよなよ文学をどちらもやって、その中庸をとればよいのである。もちろん、ここで中庸とは悪しきシンクレティズムではなく、己の魂に照らして善きところを採ることである。アイデンティティを揺り動かすことsubversion of identityは、私にとってこのようなものである。

先哲ヘーゲル曰く、衝突Kollisionは矛盾の極に達して必然的に解消する。


 
 
 

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2件のコメント


Hiroyuki Ohe
Hiroyuki Ohe
2021年5月25日

阿部君、拝読しました。

「西洋のファロソフィーと、日本のなよなよ文学をどちらもやって、その中庸をとればよい」という部分が私には少し理解が追い付かないのでご説明を頂ければ幸いです。「なよなよ文学」が何のことかよく分かりませんでしたので、併せてご説明を頂ければ幸いです。


ジェンダーの問題は、もちろん個別的な話題でもありますが、ESG(またはSDGs)といった話題でも触れられるように、行動論的には、社会的諸問題(環境、貧困)といった問題と等価だと思っています。

本人が本心でどう思うかはさておき、対外的には配慮した発言をしなければならない(そうしないと攻撃の格好の口実を与えてしまう)のだと思います。

ただ、裏を返せば、攻撃を受けることを自覚しているのであれば、あとは自己責任という話題でもありますので、どう発言するかは倫理的な問題ではないと思っていますし、実は品性があれば、大抵の話題には、問題なくやり過ごせるように思っています。巷で問題となるようなケースは、正直「何でこういう話をしているの?」と疑問に思うケースも少なくありません。


ただし、こういった話題が、あたかも倫理的問題であるかのようにすり替えられるようになってしまう(これは結果的に記号論でものを考えることなのだと思います)と、阿部君のおっしゃるとおり、不正義と不幸しかもたらさないことになるように思います。


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悠樹 阿部
悠樹 阿部
2021年5月25日
返信先

大江さん


ファロソフィは、ファロス(男根)とフィロソフィ(哲学)をかけたジョークで、フェミニストが西洋哲学は理屈一辺倒で、男性的だと批判するときに使います。

ファロゴス中心主義、と言われることのほうが多いでしょうか。(この言いかたは、ジュディス・バトラーも『ジェンダートラブル』序文で使っています。)

何でもかんでも男根の象徴だなどと言いだしたのは、もとはフロイトとラカンの精神分析の影響があります。


なよなよ文学は、源氏物語や、永井荷風などの感性的な、"たおやめぶり"の文学のことです。男性的な哲学を風刺する言葉はあるのに、女性的な文学を風刺する言葉がないのは不公平だと思ったので、私が作りました。

ファロスに対応させるなら、オマンコ文学と言ってしまってもいいのですが、フェミストと同じくらい下品になる必要もありませんからね。


つまり、これらは、西洋哲学の男性性と、日本文学の女性性をあえて茶化して言っているということです。


ジェンダーについての政治の議論は、そもそも個の権利を破壊して"ジェンダー"なる属性に特権を与える方向になっていること自体が不正で不毛だと考えています。

ですので、私は本質だけを言って、あとは男女問題にとらわれている人たちが各自に反照して考えてくれという態度です。

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