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公正を求める人のための手引き

  • 執筆者の写真: 悠樹 阿部
    悠樹 阿部
  • 2021年9月12日
  • 読了時間: 4分

人類普遍の権理とその下での平和はもちろん私も願うところだが、あまりにそこからはかけ離れた世界に私たちは投げ出されてしまっている。

物事には段階があり、日本[人]はまず”戦後”という隷属を脱して自らの権理を恢復しないことには、何事も為し得ないものと考える。


敗戦利得者が自分たちの権威と地位を防護するための胸壁としている「民主化」(*)は、その実は社会主義化であり、デモクラシーの一形態、しかも頽落した形態でしかない。彼ら古びた「前衛」は、その名の下に、よりよいデモクラシーを求める下からの声を封殺している。

その拒否権の由来が、衆参のどちらかで三分の一を維持しさえすれば、占領憲法の改正の発議すら阻止できるという戦後政治の構造である。


(*)戦後体制公式の歴史観

「国家エリートではなく民衆の歴史の中に、私たちが誇ることのできる民主化の萌芽がどのように生まれてきたか、そのルーツを探る」

東大や朝日岩波こそ戦後版の「国家エリート」に他ならないが、ともかく体制側はこのような歴史観を提示している。


帝国憲法は伊藤らが作成した欽定憲法であるとはいえ、「国家エリート」にも民権派にも広く合意された公議輿論だった。

他方で「日本国憲法」は敗戦利得者という一つの階級、党派による日本人支配の弾丸でしかない。軍事的な脅迫はもちろん、公職追放と言論統制によって到底民主的でも自由でもない環境下で押し付けられた制度であり、その由来からして原理と矛盾している。私たちはそれに契約していないししたくもないのに、否応なく従わされている。


かつて闇市を頑として利用せずに餓死した検事がいたそうだが、社会が「日本国憲法」というフィクションに倚りかかって回っているかぎり、私たちは原理的に彼と同じ選択を迫られる。人間は共同体なしで生きることができない。そして、社会参加をするならば、私たちの生活は虚偽であり続ける。その構図を見抜くだけの良心がある人間は、社会全体から絶えず「死ね」と呪詛され続けているようなものだ。


生きるべきか死ぬべきか、それが問われねばならない。

ただちに「日本国憲法」に対して立ち上がり、その権力を打倒転覆することは不可能である。衆人は盲目であり、醒めた少数者は性急に行動を起こしても嘲罵されるだけだ。

かといって、その社会に命ぜられるとおりに死ぬのも不服ではある。


私はいい加減にヒポコンデリアと決別し実を挙げうる活動を始めなくてはならない。

世界が戦後レジームを脱却したその地点から反照して、その解放に参与していることで初めて、私の生は真実を獲得するからである。


ハイエクは、ある人が会いに来て、『隷属への道』を読んで感銘を受けた、議員になりたいと申し出たときに、次のようなアドバイスをしたらしい。積極的改革を焦っても成功しない。風土と環境にアプローチしなさいと。その人物は事業で財を成した後、数多のリバタリアン系シンクタンクの生みの親となったそうだ。

日本[人]は集産主義はもちろんのこと、”戦後”という特異な―そしてより深刻な―軛にも縛られているから、彼らと全く同じ戦いかたをすることはできないけれども、この言は既成勢力に飽き足らない活動家が普く傾聴する価値がある。私は現状への絶望が徹底していたために、このような”焦り”が弱点となってきたことはたしかだ。生きた人と土地に根差して思想を広めてゆくしかない。


そのためには、ターゲットを絞ることが肝要だ。人に与えられた時間と能力は有限である。

私は誰彼構わず正しいことを直截に言ってきたから、迫害されることで前半生を消耗してしまった。ある哲学者に騙されて、万人に良識があると思いなしていたからだ。いかに明晰判明な論証をしても、相手は「あなたのおっしゃる通りですね」などと答えてヘラヘラしながら日常に戻ってゆく、という光景を何度見たことだろうか。もっとも、学校などの体制側の人間が多い環境でそれをやったせいもあるだろうけど。

ともかく、誰が私たちの思想を求めているのか、機根がある人に絞って法を説かねばならない。泥水に沈んだ蓮の葉は相手にしてもこちらまで濁穢に飲み込もうとしてくるだけだ。正しく絶望している少数者をこそ救う意義があるし、連帯する価値もある。


最後に、実を挙げると言っても、勝利のために原則を犠牲にしては本末転倒である。

私は「日本国憲法」について無効論を保持し続ける。もっとも、不正な権力から少しでも自然の権理を防衛するために、政治的・法的手段を用いることはありうる。現行制度下で公職に就いたり立法することよる改良を否定しないが、それはあくまで闘争のためであり、本義は無効論にあることを曖昧にすべきではない。

 
 
 

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1件のコメント


悠樹 阿部
悠樹 阿部
2021年9月21日

メモ 法・国家・社会が當用の具でしかない中でどこに"人生"を求めるか。

人間と世界をより普遍的に見るべき時かもしれない。 個別的・功利的な社会改良では戦後体制は解消しないので、政治運動には求められた時にのみ同席することとする。

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