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国体論を考える

  • 執筆者の写真: Hiroyuki Ohe
    Hiroyuki Ohe
  • 2019年5月2日
  • 読了時間: 4分

日本とはどのような国であるのか。

国家の統治を考えるのであれば、必ず避けては通れない問いであると私は考えている。


「国体」と検索すると、小林敏男氏の『「国体」はどのように語られてきたか―歴史学としての「国体」論』を目にする機会があり、本書を一読した。

本書は、結果から言えば、「先生の作られたWikipedia」のような本であった。幕末から敗戦後まもなくまでの国体に関する議論がある程度カバーされており、

情報の整理に役に立つ。ただ、本書を読んだからといって何かの思索に繋がるかといえば、そうとはいえない。

筆者の意見が述べられるところは少なく、研究の成果が記された本としての性格が強いからである。

とはいえ、本書を通して考えるところはあったので、その考えをここに記しておきたい。


日本国憲法の制定に関する宮澤俊義氏のいわゆる「八月革命説」(ポツダム宣言の受諾によって我が国に革命が起きたとするもの)は、

政治的実態には異なるものとして批判されることも少なくない。

その実は、ポツダム宣言の受諾によって、我が国の主権が絶対的に制約され(もしくは我が国が他国に従属することとなり)、

形式的には大日本帝國憲法73条に基づく改正が利用されて、あたかも自主的に憲法を改正したかのような体裁が取られたに過ぎないと考えられる。

このような総括は、当然、日本国憲法の制定が無効であるとの議論に繋がるものである。


他方で法律界では「相対的無効」(無効にしてもよいしなくしてもよい)や「追認」(無効な行為を是とする)という概念があり、

無効であったものが、今も無効でなければならないという必然性はないと考えられている。

したがって、法律界からすれば、日本国憲法(への改正)を無効とするのかしないのかは、今を生きる人々の判断に委ねられるべきものとされる。


すなわち、私たちは日本国憲法の無効を主張するのであれば、かつて無効であったという正論のみならず、

今も無効とすべき議論を展開しなければならないのである。


ここで留意すべきは、そもそも何故「八月革命説」なる説明が出てきたのかという点である。

それは、「革命」と表現しなければならないほど、大日本帝國憲法と日本国憲法は、国体の次元で違いがあったからである。

とすれば、ここで議論すべきは、我が国の国体とは何かという点である。憲法における天皇の位置づけといってもよいであろう。


今上陛下は、即位後朝見の儀において、

「日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより、ここに皇位を継承しました。」と述べられ、

「憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓(う)」と述べられた。

これは日本国憲法第1条の内容通りの内容である。

また、今上陛下が「国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望します。」と述べられたのは、

日本国憲法前文の内容である。


私は、今上陛下の御言葉を耳にして、改めて日本国憲法の威力を感じたところである。

今回の先帝陛下から今上陛下への譲位が、「退位」と表現されるのも、

一重に、天皇の地位が、日本国憲法及び皇室典範という法令に基づくというルールで万事が運ばれているからである。


万世一系の歴史が、我々今を生きる国民の総意にかかっているという事態に大変畏れ多い思いを頂いたところである。

我々国民は、我が国の歴史を紡ぐに足る人間になっているであろうかと、私は自問自答せざるを得ない。


細かいことかもしれないが、私も含め多くの人々は、天皇陛下の皇族を指して、「さま」をつけて呼ぶ。

しかし、皇室典範23条によれば、天皇、皇后、太皇太后及び皇太后の敬称は、陛下とし、それ以外の皇族の敬称は、殿下としているのである。

一種の愛称だというのであれば一応の説明が立つが、殿下という敬称を知らないとすれば、

我々は、自分で作ったルールも理解していないということになる。そのような程度の我々が、我が国の歴史を紡ぐに足る存在であるといえるのであろうか。


今日から始まる新時代に、我々は、日本国憲法及び皇室典範を受け入れられている皇室に深く感謝し、

これからの国家統治を真剣に考えなければならないのではないだろうか。

法令上の位置づけという意味での国体の議論は、それから始まるもの(ようやく始められるもの)と私は考える。


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