失言について
- 悠樹 阿部

- 2020年8月10日
- 読了時間: 2分
更新日:2020年8月11日
孔子の弟子たちの「その後」はさまざまである。
子貢は政治家としても商人としても大いに成功し、衛国の宰相となった。
他方で、原憲という人物は、孔子の死後に世を避けて、隠者となっていた。
あるとき、子貢が原憲を草蘆に訪い、久闊を叙した。
原憲のほうは、君子と面会することは久方ぶりだったのだろう。
孔子の塾にいたときに着けていた、古い衣冠をまとって、子貢に応対した。
子貢はこのみすぼらしい身なりを見て驚いた。
曰く「夫子豈ニ病ムカ」
原憲は答えて曰く「吾之ヲ聞ケリ。財無キ者ハ之ヲ貧ト謂ヒ、道ヲ學ビテ行フ能ハザル者ハ之ヲ病ト謂フト。憲ノ若キハ貧ナリ。病ニ非ザルナリ」
子貢は生涯、このときの振る舞いを恥じたという。
(『史記』仲尼弟子列傳)
なお、太史公は子貢をむやみに貶めたのではない。
むしろ、「仲尼弟子列傳」のかなりの部分が、蘇秦・張儀も顔負けの、彼の外交官としての活躍を記述することに充てられている。
その美玉にもなお、一点の瑕疵があったということを、太史公は見過ごしていない。
十字架上のイエスを、「ユダヤ人の王、万歳!」(マタ 27:29、マコ 15:18、ヨハ 19:3)と揶揄したローマ兵たちは、イエスを辱めていたのだろうか?いや、実のところ、自らを辱めていたのではなかろうか?
このローマ兵たちは、子貢とは違って君子ではなかったから、失言に気づくことはなかった。
イエスは人の子として死に、ローマ兵たちは禽獣として生きた。
それでも、時間にあくせくしている小人にとってはともかく、永遠の相のもとでは、内実をともなう正確な言葉は辱められることなく、無神経なおしゃべりだけが辱められるのである。
令和2年8月10日 阿部悠樹




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