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宗教と政治について―「オスマン帝国」を読んで―

  • 執筆者の写真: Hiroyuki Ohe
    Hiroyuki Ohe
  • 2019年1月25日
  • 読了時間: 2分

 小笠原 弘幸『オスマン帝国-繁栄と衰亡の600年史 』(中公新書、2018年)を読んだ。

 九州大学の人文系の准教授を務められており、中堅のオスマン史の研究家である。


 通史として構成されており、情報量が多い。各スルタンがそれぞれどのような業績を果たしてきたのか(また果たさなかったのか)も含めて、整理されている。


 オスマン史がイスラームに基づく体制を敷いて、多民族・他宗教体制を敷いていたことである。統治者(スルタン)として振舞いつつ、さらには宗教的指導者でもあるカリフも名乗っていた。

 スルタンは、オスマン家の直系であるが、その妻、側近は、他民族であることもしばしばであった。スルタンが即位するときに兄弟殺しを行う、譲位する際には、イスラーム法学に基づきファトワが出されることなどユニークな体制である。


 ともすれば、オスマン帝国で知ることとは、ウィーン包囲から第一次世界大戦までのヨーロッパ諸国との戦争ぐらいかもしれない。

 よくよく考えれば当たり前のことであるが、戦争をしているということは、日常の交流もしているのである。特に近世から近代にかけて、オスマン帝国は西欧諸国の文化や軍制や統治システムなどを取り入れようとしていた。憲法は、我が国より早く1876年に出来ている。


 単に外圧によって近代化が進むだけではなく、スルタン、イェニチェリ、アーヤーンなどの諸勢力が、中でうごめくことによって、近代化の進み方は錯綜する。


 多民族国家であったオスマン帝国は、その末路において民族国家トルコとなる。しかし、現代、民族国家となった今のトルコをみれば、大統領のエルドアンが「スルタン」になろうとしているのではないかとささやかれている。


 オスマン帝国をながめて思うのは、国家の体制はいかにあるべきかという点である。政教分離は、裏を返せば、政治と宗教は切っても切り離せない関係にあるということだ。こればかりは自国の歴史をながめながら、そして今の時代を生きるアクターの動静を分生子なければ答えの出ない話である。



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