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山上の垂訓 貧しい人々は幸いである

  • 執筆者の写真: 悠樹 阿部
    悠樹 阿部
  • 2021年5月25日
  • 読了時間: 1分

更新日:2021年5月27日

マタイとルカで同じことを言っているように見えて、実は文体が異なる。

マタイでは、「霊πνεῦμαにおいて貧しい人々は」と書かれており、ルカではたんに「貧しい人々は」となっている。

前者は心について、後者は物について言っているのである。

両者を対観することで、心と物の問題をパラレルに捉えることができるようになる。

つまり、心が満たされない人は此岸に満足せずに神を希うがゆえに幸いであり、同時に物質的に貧しい人々は此岸に順応せずに身の察々たるを保つがゆえに幸いである。

「義に飢え渇く人々は」(マタイ)、「今飢えている人々は」(ルカ)の対比も同様である。


心だけにとらわれると、生活上の利便を一切無視して戒律に従いなさい、という偽善となる。

物だけにとらわれると、私は正しく生きているのになぜあいつらよりも報われないのか、というルサンチマンになる。


「書は言を盡くさず、言は意を盡くさず」

記述者の<意>に耳を傾けずに、<書>だけを読んでも、真なる神は現れない。

私たちが啓示宗教と向き合うとき、一部を切り取ってドグマ化するよりも、啓典を全体として把握するほうが実りがあるのではないか。


 
 
 

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