「政治と宗教について」への応答
- 悠樹 阿部

- 2019年1月28日
- 読了時間: 2分
更新日:2020年8月7日
イラン革命以来、イスラーム復興はイスラーム圏における支配的なイデオロギーである。トルコにおいてもアタテュルクの欧化主義に対する支持は失われ、大江さんが書いているように、エルドアンが「スルタンになろうとしてる」かのようだ。
欧米と日本の言論空間では無原則な文化相対主義が蔓延しており、シャリーアによる抑圧が看過されてきたが、アーヤン・ヒルシ・アリのシャリーア批判などで少しは現実に目を向ける人が出てきた頃と思う。
もっとも、人々を革命に駆り立てる理念と、その結果として生ずる体制が一致するとは限らない。日本において、維新の志士たちは朱子学の「尊王攘夷」を掲げて幕府を打倒したが、明治政府は天皇親政にも排外主義にもならなかった。シャリーアには近代的な意味での信教の自由がないこと、女性に不利な家族法など多くの問題があるが、イスラーム復興は腐敗した体制に対する批判の枠組みとして機能している面もある。
しかし、クルアーンを文字通り信奉し、シャリーアによる統治を要求することはイスラームの基礎であり、イランの神権政治を見ても、イスラーム復興の運動が此岸の人間的要請と妥協するとは考え難い。(イスラームがそれだけ公私にわたって体系化された宗教にして政治イデオロギーだということでもある。)
現在、中東において―否、世界の他の地域でも―多くの不公正があり、現状変更のダイナミズムを生み出す理念が必要とされていることは認めるが、「イスラームに基づく体制」すなわちシャリーアによる統治が処方箋たりうるとは私は思わない。
参考文献
欧化主義の模範であったトルコにおいても、「イスラームに基づく体制」への希求が強まっていることは、エルドアンが首相に就任する以前から論じられていた。
たとえば、
Samuel P. Huntington(1996), The Clash of Civilizations
アタテュルク以来のトルコにおける欧化主義とイスラーム主義の相克については、p.144-149。
トルコがイスラーム復興に傾倒したのは、EU加盟とNATOの共同防衛について、トルコの要望がないがしろにされてきたことも一因であるとハンチントンは見ている。
ムスリム同胞団のイデオローグ、サイイド・クトゥブはシャリーアによって統治されない社会、すなわち当時のあらゆる社会をジャーヒリーヤと見なした。
『イスラーム原理主義のイデオロギー サイイッド・クトゥブ三部作』(岡島稔、座喜純)




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