日韓関係から政治を考える
- Hiroyuki Ohe
- 2019年9月18日
- 読了時間: 4分
更新日:2019年9月18日
元駐韓大使の武藤正敏氏の「文在寅という災厄」(悟空出版、2019)を読んだ。
タイトルこそインパクトのある内容になっているが、本書を読むと日韓の実務家の思いはこのタイトルに表しているとおりなのだろうと思う。
筆者は、文在寅政権について、民主主義の仮面をかぶった独裁政権であると述べ、司法機関の人事に介入し、自分の政権を批判する人間に対しては、「積弊清算」だとして容赦なくしょっ引く。元大統領であろうが逮捕する対応に出ている。
我が国において民主党政権であったとき、菅直人元首相が、「民主主義とは交代可能な独裁だ」と発言したことが思い起こされる。政争を勝ち抜いたイデオロギーの信奉者は多かれ少なかれ、イデオロギーの次元で「不正義」「誤り」と思える存在を、なりふり構わず排除しようとし、自分に対する批判があれば、それは自身のイデオロギーに対する妨害工作ととらえ、批判の内容にかかわらず、受け入れない態度をとるのであろう。
筆者は、文在寅の振る舞いを指して、ネロナムブルと表現している。
文在寅は、「反日」や「親北」を、国益に照らした実践的な用具として使うのではなく、それ自体を「正義」として掲げており、およそ妥協の余地がない振る舞いを繰り返している。ここが朴槿恵など保守政権や金大中政権など20世紀の政権と異なる点であるという。
彼らの掲げるイデオロギーは、朴槿恵前大統領の排除として正当化され、高い支持率を誇っていたが、イデオロギーしかなく政策の現実性が乏しく、無理な賃上げなどの政策の失敗や露骨な司法介入が垣間見え、現実的にものを考える韓国国民の支持を徐々に失っていると筆者は分析する。
文在寅政権をケーススタディとするとすれば、学ぶべき点は三点ある。一つ目は、実務的ではない、単なるイデオロギーも高い国民の支持を集められるということ、二つ目は、高い国民の支持も政策を通して失われる、三つ目は、イデオロギー一辺倒の政権が、政策で批判され、支持率を失うことがあっても、直ちに政権を揺るがすものではないということだ。
翻って我が国は、国民を束ねるようなイデオロギーが存在するであろうか。
筆者の態度は、よくも悪くも我が国の戦後の歩みの「スタンダート」を行くものであり、筆者自体は思想を語らない。むしろ「用日」「用韓」でよいと日韓関係は是々非々で臨むべきという考えだ。
イデオロギーを重視するがあまり、合理性に欠ける政策を繰り返す韓国は、国際世論から見ても非難されるべきものと述べる。ただし、筆者の論調は、文在寅の非合理性を非難するものであって、我が国の韓国に対して対抗策を肯定するものではない。著者は、戦後から日韓基本条約、金大中政権誕生に至るまでの日韓の歩みを実務家の視点から肯定的に捉えており、日本がさらなる強硬姿勢に出ることには牽制球を入れているようにも思える。
このような筆者に見える考え方は、良かれ悪かれ「実務家」の肌感覚であろう。「実務家」は、イデオロギーに結集する国民のパワー及びそれを率いるリーダーシップを重んじていない。
イデオロギーは政権誕生の起爆剤とはなりうる。イデオロギーの力ははっきり認めなければならない。
我が国は、イデオロギー化する韓国を冷ややかに見るだけでよいのであろうか。それでは、近代の轍をまた踏んでしまうのではないであろうか。我が国において国民を束ねるイデオロギーを言語化するのもまた国家の役割なのではないだろうか。
文在寅政権をみれば、実務家が忌避すべきイデオロギー政権も、黒白決着をつけるまでに至らなくても、個々の政策で政治の支持基盤を失いかねないということには学ばなければならない。国民は、決してイデオロギーだけで支持しているわけではないのだ。むしろ、イデオロギーで誕生した政権こそ政策・判断の「合理性」(支持基盤である層に受ける政策・判断)は追及されなければならない。今、話題となっている曽法相の任命を行い、検察改革にメスを入れているのは、まさにその象徴といえるだろう。
我が国が国民を束ねるイデオロギーを言語化できたとしても、政策に失敗すれば、その思想の支持基盤を失うことにはくれぐれも留意しなければならない。




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