top of page

未来への希望

  • 執筆者の写真: 悠樹 阿部
    悠樹 阿部
  • 2020年3月30日
  • 読了時間: 3分

更新日:2020年8月6日

戦勝国は日本人から文化を奪い、戦後レジームの「大きな政府」「福祉国家」に国民を経済的、イデオロギー的に隷属させた。

このことは歴史の事実であり、私たちはその自国の歴史を偽ってまでも、繁栄を享受しようとは思わない。(1)

しかし、私たちが抱えている問題の根源は、言葉から思想が抜け落ちて文化が貧困になっていることである。

過去への怨念にとらわれて愚痴を言うことではなく、自由な精神が日本文化に集って「概念を鋳直す営み」(2)を共有することでのみ、この悲惨から抜け出すことができる。

実は、第一次世界大戦に敗戦したドイツで、「自由な精神が文化に集う」ことを国民に呼びかけた哲人がいた。

オズヴァルト・シュペングラーである。

Da erhebt sich denn das Geshrei über Pessimismus, mit den die Ewiggestrigen jeden Gedanken verfolgen, der nur für die Pfadfinder des Morgen bestimmt ist. Indessen habe ich nicht für solche geschrieben, welche das Grübeln über das Wesen der Tat für eine Tat halten. Wer definiert, der kennt das Schicksal nicht.

そこで、悲観論についての叫びが持ち上がってくる。それによって、永遠の昨日である人間は、明日の先駆者のためだけに定められたあらゆる思想を追い回す。 しかし、行為の本質について思い悩むことを行為であるとみなしている人のために、私はこの本を書いたのではない。

定義をする人は運命を知らない。

Für ernste Leser, welche eine Blick auf das Leben suchen statt einer Definition …

定義を求めるのではなく、生命を見つめる真面目な読者のために(後略)。

これはいずれも、『西洋の没落』1922年版の序文からの抜粋である。

哲学とは概念を「既存の議論の型」に分類すること、「既存の議論の反復」をすることではない(3)。それは永遠の昨日である人間のすることである。 哲学は、自由な精神が各々の実存的な要請に基づいて文化に集い、「自らの語る言葉の原初の生々しさ」(4)を尊重することである。

かくして、彼は―そして我々も―「生の哲学」の哲人と呼ばれる。

では、このシュペングラーの呼びかけは、「戦後ドイツ人」に通じただろうか。

残念ながら、そうはならなかった。

過去への怨念にとらわれたナチスが台頭し、大きな政府によって国民から自由を奪い、イデオロギーを強制した。そして、「ユダヤ人」の虐殺という蛮行を行った。 (もっとも、このことは戦勝国が課した過酷な賠償金や、不公平な国際制度にも由来する問題であり、それをドイツ人だけの責任に帰すつもりはない。)

ナチスは「文化破壊者」兼「大きな政府論者」であり、「文化防衛論者」兼「リバタリアン」としての私の生き方と全く相容れない。

私たちは、過去への怨念に基づいて他者にイデオロギーを強制することではなく、未来への希望に基づいて自由な精神が日本文化に集い、それを再興することから、戦後レジームからの脱却への一歩を踏み出すのである。

令和2年3月30日 阿部悠樹

 
 
 

最新記事

すべて表示
福田恆存『戦後日本知識人の典型淸水幾太郎を論ず』①

著者は劇作家でもあり、清水幾太郎という人物の洞察も、演劇の台詞--後で調べたところゴーリキー『男爵』のようだ--を引用するなどして読ませるのだが、私が清水氏や当時の言論界・学界についてよく知らないこと、また著者の<人間>に対する洞察が深いのに対して私はまだ浅いことから、コメ...

 
 
 
福田恆存『言論の空しさ』

私がやりたいことと能力(知識)とのギャップを考えたときに、日本思想、特に近代日本思想を原書に基づいて知らなすぎることが問題だなと思った。 私の関心と文章のとっかかりやすさからして、福田恆存による国防を主題とした評論から始めるのがよさそうだった。彼の著作は評論集が二冊手元にあ...

 
 
 
開国

朝鮮戦争にはルクセンブルク軍すら参加したのに日本は軍を出さなかった。 吉田と当時の日本人は経済を犠牲にしてまで日本を敗戦させた国際秩序に寄与しようとは思わなかったのかもしれない。日本に利益があるかぎりで国際秩序と協働することにした。...

 
 
 

3件のコメント


悠樹 阿部
悠樹 阿部
2020年3月30日

大江さん 「私たちはテキストを正しく読み取る存在でありたいと思います。」 シュペングラーもそうですが、おそらく日本では三島由紀夫が同じような誤解を受けているのではないかと思います。 シュペングラーや三島がしようとしたことは、自由な精神が文化に集うことで、文化を復興すること、それを出発点として廃墟となった祖国を復興することです。 ナチスのような、いわゆる「全体主義」とは全く相容れません。 ただ、三島のアンガージュマンを私が正しく理解するには、いましばらく時間がかかりそうです。 『豊饒の海』『英霊の聲』『文化防衛論』に再び向き合って、いずれは三島についても言及できればと思っています。

いいね!

Hiroyuki Ohe
Hiroyuki Ohe
2020年3月30日

阿部君

 拝読しました。示唆深いコンテンツですね。

 wikipedia程度の知識で、かつ、ドイツ語もしばらく触れていないため和訳しか読んでおらず恐縮ですが、シュペングラーは学校の先生だったのですね。シュペングラーの言説が少なからず、ナチス誕生に寄与したのだとすれば、彼は本当に無念だったでしょうね。

 私たちはテキストを正しく読み取る存在でありたいと思います。

いいね!

悠樹 阿部
悠樹 阿部
2020年3月30日

註記

(1)大江弘之 『これからの活動理念』 「私達は、自らの国の歴史を偽っても繁栄を享受しようとは思わない。

自らと家族を養っていければ、あとは自らの信ずるままに行動する。

同朋を大切にし、戦う術を弁えて来るべき時に備えんとするものである。」 (2)田中大 『哲学の使命――戦後レジームを崩す新しい言論のために』 「哲学とは、概念を鋳直す営みです。概念を鋳直すことで、私たちは自らの思想を鍛え、自らの語る言葉の原初の生々しさを蘇らせることができます。」 (3)ibid. 戦後レジームの「閉ざされた言語空間」(江藤淳)に漂うニヒリズムについての、田中大君の正鵠を射た指摘を参照のこと。 「この言論空間の閉塞感が生じた原因の一つは、主要な議論が長きに亘り何度も反復される中で、それらがみなパロディ化してしまったことにあると考えます。たとえ正論を言っても、受け手は即座にそれを「憲法押し付け論」、「憲法無効論」…等といった既存の議論の型に分類し、既存の議論の反復として受け流します。思想が言葉から抜け落ちて、言葉はその力を削がれてしまうことになります。議論はわずかばかり見識を広げるための情報でしかなくなり、たちまち消費されて見向きもされなくなります。」


(4)ibid.

註記(2)を参照のこと。

いいね!

© 2019 by Hiroyuki Ohe. Proudly created with Wix.com 

  • Grey Twitter Icon
フォーラム「言倫」

​あるがままを語る

bottom of page