福沢諭吉 隷属への道
- 悠樹 阿部

- 2020年7月2日
- 読了時間: 3分
更新日:2020年8月6日
「「天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず」と言えり。…人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。」(『学問のすすめ』)
福沢諭吉は朱子の理気二元論を換骨奪胎して、天を見つめる高邁な理想を、地を見据える冷厳な論理に変容させました。すなわち、人間の精神における貴賤の別を、物質における貧富の別と同一視したのです。その学は実学、すなわち公理から出発して総合判断の連鎖によって事実の認識を拡張してゆく文明の学になりました。(1)
真なるロゴスは一つの生き物として有機的な秩序を有していなければなりません。ですが、実学偏重の三田派は、洋学を導入することで事実の認識を大幅に拡張しえたにしても、価値探究の情熱を欠いていました。その学は西洋文化という生贄の牡牛を屠り、西洋文明というバラバラの肉塊にして提示することでした。大隈重信が三田派の憲法案を新政府に持ち込もうとしたとき、伊藤博文がこれに激怒して決定的な対立が生じたことは必然だったのです(明治十四年の政変)。
三島由紀夫は、福沢の高弟にして上皇陛下(当時東宮)の師傅であった小泉信三を逆臣として指弾しました。日本人にとって、天皇は諸形相の秩序を照らす光です。(2)天皇が実学に引き摺り降ろされることは、天照大神が天の岩戸にお隠れになったときのように、私たちの魂を盲目にします。
敗戦してこのかた、日本人は現状status quoだけを見つめて、じめじめした、味気ない地と分かちがたく結びつけられたミミズのように生きてきました。日本人が一度の敗戦で精神まで枯渇せしめられたのは、福沢諭吉が敷いた実学偏重の道が「漢意のナチス」(3)を量産したためです。
私たちが戦後体制の悲惨から立ち直るためには、プラトンに学ぶべきです。なぜなら、西洋哲学はプラトンとその注釈であり、私たちがそのロゴスを今の日本に現前させることこそが、生きた西洋文化に向き合うことであるからです。その光に照らされてこそ、佐久間象山、福沢諭吉にはじまり、科学者たちが継承発展させてきた我が国の実学は意義を獲得します。
(1)カント『純粋理性批判』 Einleitung §4-5
(2)「思惟によって知られる世界において、<善>が<知るもの>と<知られるもの>に対してもつ関係は、見られる世界において、太陽が<見るもの>と<見られるもの>に対してもつ関係とちょうど同じなのだ。」(プラトン『国家』第六巻508C 藤沢令夫訳)
(3)これは三島由紀夫が統制派を評した言葉です。(『英霊の聲』)
統制派はルーデンドルフ『総力戦』という実学のテクストを奉戴して読み、日本人にとっての根本的な価値=大和魂を忘却しました。実学は事実の僕であり、事実を説明することに力を有するかぎりにおいてのみ尊厳を保持します。
「専門性に没入することは、その気質を肥大化して本然の性を曇らせることです」(拙稿『法と正義について』)。現代の日本で政治に責任を負うべき立場にある人間は、ノンポリ(政治に関心がない、したがって正義に関心がない人)というアイヒマンに溢れています。
令和2年7月2日 阿部悠樹




大江さん
「福澤諭吉については…現場で戦わなかった人という印象を抱きます。」
同意します。
福沢諭吉は自伝において、戊辰戦争の際にも不偏不党で、佐幕派とも尊攘派とも付き合いを持っていたことを誇っていたと記憶しています。
これは市民の生活態度とは対極に位置するものです。アテナイのソロンの立法では、内戦において武器をとって戦わない者は市民権を剥奪されると定められたといいます。(アリストテレス『アテナイ人の国制』)このように、政治参加をし、自由が脅かされれば戦うのが市民です。ヨーロッパにおいては人文主義者たちが古典古代の市民道徳を発見し、ルソーらの啓蒙主義者がそれを普及したことによって、専制君主制は打倒され、国民国家が創設されました。
日本においては、(自然法的に)不法な専制権力を打倒し、国民国家を創設する前衛の役割を担ったのは維新の志士たちでした。福沢は幕府の役人になりましたが、さりとて幕府を擁護して戦うでもなく、政治的に日和見で去就の定まらない人物でした。そして、道義のために戦う人々を冷笑しつつ、功利に専念しました。彼は西洋から実学を輸入することはできましたが、市民としての生活態度まで輸入することはできず、江戸の庶民にとどまったといえます。
なお、教育者としての成果や彼の弟子の活躍については私は詳細には知らないので、その点での評価は今は差し控えます。
阿部君 コメントが遅くなってしまい、すみません。拝読しました。
福澤諭吉については、立派な教育者であったとは思いますが、
現場で戦わなかった人という印象を抱きます。
福澤諭吉の功績は、福澤諭吉の弟子と称する人々の活躍をもって図るべきかもしれませんね。