私達の矜持とは
- Hiroyuki Ohe
- 2020年1月30日
- 読了時間: 2分
お世話になっている渡瀬裕哉さんが最近書いた2冊の本
・なぜ、成熟した民主主義は分断を生み出すのか ~アメリカから世界に拡散する格差と分断の構図
・メディアが絶対に知らない2020年の米国と日本 (PHP新書)
を読んだ。書評については私の読書メーターをご参照いただければと思う。
https://bookmeter.com/users/579604/books/read
両者に共通しているキーワードは「強靭でしなやかなアイデンティティ」というワードである。柔よく剛を制すといわれるように、行動論として、強靭であり、かつしなやかであるということは大切であろう。しかし、強靭でしなやかなアイデンティティとは何なのであろうか。内心と行為どちらを指しているのであろうか。
本書を読む限り、自由を守るという点に重きが置かれているように思う。そうであれば、ここでいう強靭でしなやかであるのは、行為であって内心を指しているものとではないと考えるのが素直であろう。
裏を返せば、本書は、内心(特に日本人)について語っているものではない。内心を語らないからこそ著者の人格の良さを感じるところではあるが、日本人の内心については語られぬままである。社会において、内心がなくして、行為を語るとすれば、人に訴えかける力はいかほどであろうかと懸念の気持ちを抱く。
それと同時に、私達の世代(私は渡瀬さんの少し下の同世代である)が、見方を変えれば、戦後レジームの毒牙にはかからずに、それゆえ内心とは無縁に生きてきたことを自覚するところである。
私達は、「中世」とのつながりに復古の想いを抱き立ち上がるのか、それともまさしく強靭でしなやかなとは無縁のイデオロギーに捕らわれ続けるのか、それとも自己の自由を守るために行動するのか。私達日本が世界の舞台に上がるとしても、これらの内心に関わる点につき整理を付けなければ、外交軍事であろうとSDGsのようなグローバルイシューにしろ世界のプレイヤーと戦っていくことはできないように思えてならない。




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