自力救済と社会的公正について
- 悠樹 阿部

- 2022年8月26日
- 読了時間: 2分
引き寄せとか自己啓発とか、それに類することをやっている人の集会に誘われて参加したことが一度あります。
「道路を歩いていて石に躓いた時どうするか」と講師が質問し、参加者は「~して目的地に向かう」と答えていました。
人生で躓いたときにどう立ち直るかという問答だったのでしょう。
私は「道路から石を取り除くべきです」と答えました。
彼らは徹底した自力救済の哲学で、それに対して私は社会的な公正を無視できなかったのでこのような発言が生まれたのだろうと今にしては思います。
しかし、自力救済せざるを得ない立場に置かれた人がそれをすることを悪いとは思いません。
むしろ公権力に安定した地位を与えられて公に害を為している左翼学者などが、他者の権利を侵害しているでもない町人の努力に肩をすくめてみせる階級的なしぐさをこそ私は嫌悪します。
付言すれば、運によって成否が左右される「ギャンブル社会」のほうが、世論・官僚・学者等のお気に入りで階層化される社会主義よりも、私たちの尊厳は保たれます。
戦後の通念と制度により社会化されればされるほど、人間は醜悪になります。戦後日本において「保守」とは精神まで社会化されて畜群に吸収されることを拒んだ人々に、畜群側が貼った蔑称でした。
経済的自由なくして精神の自由を保つことは不可能とは言わないまでも至難であり、日本型社会主義とか学歴社会が続くかぎり、保守が勝利することは困難です。
そもそも誤ってリベラルと呼称されている社会主義者たちが「われわれを無下にするとギャンブル社会になるぞ」と人民を脅しているその文句も私は懐疑します。自由市場での成功・失敗が全て運だとは思いません。
戦後左翼によってここまで「日本」が腐敗させられた以上、国の枠組みに囚われない新しい思想や試み(たとえばZ世代がメタバースを開拓しNFTを生み出す)にも私は期待します。
氷河期~私たち(20代後半)までの世代は、団塊や68年世代に隷従し、物事を変えられなかった(少なくとも今のところ変えられていない)。
新しい世代が新しいことを始めた時に邪魔だけはしたくないと思っています。




・左翼の物心両面の脅迫に屈しない。
彼らは社会主義階層秩序の上位に陣取りながら「われわれを無下にするとお前たちが困るぞ」と脅迫する習性がある。権力関係を無視して字面だけ切り取るとそれが「正しく」見えてしまうことがあるので注意が必要。
左翼を支持・投票するくらいなら死ぬし他人もそうすべき。
・上野千鶴子が東大入学式の祝辞で「努力が報われない社会になっている」と言ったそうだが、彼らが言う「努力」は公教育の空気を内面化して階級上昇を図ることであり、何の高尚な動機もない。そのような「努力」が報われない社会、真に他者の役に立った者が報われる社会こそが正しい社会である。