自由に生きるということ
- 悠樹 阿部

- 2020年5月11日
- 読了時間: 1分
これは私が「自由主義者」を名乗る人々と一時期政治行動を共にし、そして見切りをつけた顛末である。 人は政治のみによって生きるのではない。政治上の自由主義という結論に到達したら、より幅広く自由に生きることを吟味してほしい。
私自身の経験から言えば、若かりし頃には政治一辺倒で思考をしていたため、<記述のレベル>◆【De "iustitia" <正義>について】の内部で考察が煮詰まってしまい(註)、現実に対する絶望ばかりが募り、政治参加をすることができなかった。だが、政治と人文学の間を往復するようになってから、政治を論じきったら人文学をして、人文学で血肉にした言葉によってまた政治を論ずるというよいスパイラルに乗ることができている。
世の中には、「自由主義者」という属性を取り去ったらエゴイストしか残らないように見える人もいる。政策上の結論を同じくするからといって、そのような人と政治行動を共にする気にはなれないのである。
(註)<正義>はアリストテレス的な<論証 ἀπόδειξις>によっては語りえぬことであり、プラトン的な<対話 διάλογος>によって語るべきことであった。それは自由な真理探究を共にする朋友との<対話>、過去の哲人との<対話>である。
(参考 田中大 『〈記述〉と実存 〈対話〉についての[/としての]試論』) 令和2年5月11日 阿部悠樹




田中君 「毅然とした態度」について 「相手を辱めんことを恐れるがために、わたくしは己の責任において善美と認める所は、たとえ相手が年少であったとしても、子供向けに改変することなく全て一級のものを与えている。勿論その人に応じて示すべきものを選択するのではあるが、その人に適合する一級品を選ぶのであって二流三流の品に甘んぜしめるわけではない。」
(『憑虛樓集』 「教育について」) <戦後レジーム>のもとでは、公教育によって「知識人」の多くが<意識家>に仕立て上げられ、<思想家>になることができないまま不幸な一生を終えるのだと思います。 私たちはそのような彼らの境遇に同情しつつも、その人に響く言葉は何かを考えて<対話>を試みていきましょう。 このような配慮をしたうえで、思うことを<至誠>を以て直截に語ることが相手のためになることであり、相手に阿って「二流三流の品」を提供することはむしろ彼らを辱めることになります。
阿部さん
大江さん
>世の中には、「自由主義者」という属性を取り去ったらエゴイストしか残らないように見える人もいる。 >戦後レジームがかくも権威主義にまみれたのは、敗戦と戦後政治によって自主憲法を奪われ、法哲学が当用憲法という「不磨の大典」に固定され、国民が立法と政体を哲学的に考える習慣を失ったからです。 残念なことに、思想を専門的に学び研究している人でさえも、自己の利益のために、あるいはそうですらなく自己顕示欲を満たすために思想を掲げているだけの人は多いですね。彼らは単なる〈意識家〉であって、〈思想家〉ではありません。政治的言論空間においてこうした〈意識家〉がのさばっているのも「国民が立法と政体を哲学的に考える習慣を失った」ことが一因ではないかという気がしています。 彼らのような自意識過剰な人間にとって最重要なのは自己であって、彼らにとっては思想(=言葉)など、自意識を主張するための道具に過ぎないのでしょう。そういう人間には〈他者〉がいないのです。そのために彼らは〈倫理的〉ではあり得ず、党派的であるほかないのです。 私たちは「永遠の相の下に」立ち、〈思想家〉として、毅然とした態度で彼らに対する必要があるでしょう。
大江さん 私は左翼権威主義者とそれに付き従うノンポリのみで構成される「高学歴」の家庭と学校に生い立ち、彼らに対する反逆心が<自由>を希求する私の人格を形成してきました。 しかし、ツイッターをやって、「自由主義者」を名乗りながら政治手法が権威主義的な人や集団もあるということに気づきました。 権威主義者にとって「思想」はエゴイズムを糊塗するための無内容な記号であり、ファッションのように着脱可能なものです。 戦後レジームがかくも権威主義にまみれたのは、敗戦と戦後政治によって自主憲法を奪われ、法哲学が当用憲法という「不磨の大典」に固定され、国民が立法と政体を哲学的に考える習慣を失ったからです。<欧州文化的概念>が戦勝国と敗戦利得者によって強制的に日本に移植された結果として、政治の場で使われる「言 コトバ」が「意 ココロ」と「事 コト」から遊離した記号になったことが紋切り型のイデオロギストを再生産しています。
私たちはいかなる権威主義にも与さず、政策上の結論という標準で党派を作るのではなく、自由な真理探究を共にする朋友と政治行動を共にしましょう。日本語による自由な真理探究を共にする文化共同体こそが真に<日本>の名に値するのです。
阿部君
本日のミーティングありがとうございました。
お声掛け頂いて嬉しく思います。
自由は、ファッションではなく、人生論として考えていきたいですね。