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超国家主義への疑問-我が国を語る語り口

  • 執筆者の写真: Hiroyuki Ohe
    Hiroyuki Ohe
  • 2019年4月1日
  • 読了時間: 4分

日本は、天皇それ自身が究極的価値の実体であり、君主が統治者として振る舞った絶対主義とも異なると丸山真男氏は分析する。

それゆえ、帝国の人々が天皇という権威に依存し、また自らがその権威を実践するスタッフの一員として何らの悪意なく他者を侵略するのだと氏は論じる。このような我が国を指して超国家主義といい、国民は、大東亜戦争の敗北によってはじめて解放されたと氏は指摘する。氏の論述をみると、国民は、無自覚であるが故にナチス・ドイツよりもたちが悪いと考えているように見受けられる。


大日本帝國憲法の起草にあたって、西洋諸国の憲法が参照され策定されたため、形式的には大日本帝国憲法は立憲君主制である。

日本人は、宗教戦争を経験していない。我が国が、立憲主義を導入するにあたって、その動機も思想もが、およそ西欧諸国と異なる。


丸山氏は、我が国を「超国家主義」の国家であった、したがって元に戻ることは倫理的に許されないと結論づけるための実験的な議論を行っているかように見える。

丸山氏が、「超国家主義」の発露として指摘する事項は、丸山氏自身や友人が経験した下士官の横暴なふるまいなど極めて個人的な体験に基づくものである。


丸山氏は、法学や政治学の概念を用いている。それゆえに議論は難解である。

しかし、その議論の本質は、「大日本帝国が憎い」もしくはそのような態度を示さなければならないという結論に向かってそれらしいことを論じているだけではないだろうか。


そもそも国家を論じるにあたっては、イデオロギーだけでなく、当時の国際情勢や国際法秩序を踏まえて地政学的観点や国際法的観点を踏まえて議論しなければならない。

丸山氏は、我が国が徐々にアメリカに追い詰められていたこと、太平洋戦争は自衛戦争と評価できるといったあったとの指摘は一切触れず、ただ「超国家主義」であったとの議論は異様な光景を示している。


丸山氏に一時師事していた小室直樹氏は、「我が国は、近代化するために憲法を制定したのだ」と論じ、天皇は、日清戦争、日露戦争の勝利という奇跡を通じて、カリスマとなったのだと論じる。

小室氏は、我が国が大東亜戦争にまで突入したのは、マスコミがカリスマである天皇を戴く我が国を「神国」として論じ、戦争に焚きつけたからであると論じる。


ただし、両氏とも共通するのは、およそ民衆は政治に関わっていなかったという事実認識である。民衆が国家に位置付けられることを指して、近代化とさすのであれば、間違いなく我が国は近代化したのである。大東亜戦争までに我が国の歴史を振り返るのであれば、それは近代化した国家間競争に敗れただけであり、それ以上でもそれ以下でもない。我が国がどうあるものかという国体に係る議論は、これらの事実によって左右されえないものである。


私が思うのは、日本人が誇りを取り戻し、国家を自立させるべきものとして確信するためにも、GHQにおかげで「超国家主義」から脱却して日本国が誕生したというイデオロギーは破棄されるべきである。しかし、破棄されたところで、20世紀の総括を「日本は朝鮮特需で復調し、米軍の庇護のもとで経済成長した」という事実のみを挙げて満足してしまえば、それは評論にすぎず、日本人の誇りに繋がらないかもしれない。国への誇りとは、経営のようなテクニックが求められる次元が異なるであろう。

「国際情勢の緊迫化に備えなければならない」と述べるだけでは、自国の価値を論じたことにはならない

一人一人の国民が、「日本っていやなこともあるよね」と「飲み屋の話」をすることは何ら問題はないであろう。

しかし、政治のレベルでも自国をそのような「飲み屋の話」レベルでしか論じることができないのであれば、もはやその国家は砂上の楼閣というべきであろう。

いくら現場が奮闘しても、いざ何か起きても何も対処できない国家になってしまうであろう。


ただ、何も対処できない国家も、滅びるまでは国家として存続する。

ともすれば、外交巧者となって最期のひとときを煌めかせるかもしれない。

しかし、外交巧者であるだけの国家には、もはや誇りはない。あるのは「利」だけである。

21世紀に、我が国がどのような国家として存続するかは、私たち若者が国家をどのようなものとして考えるかによる。

私たちは、日本とは何かを教えられなかった世代である。だからこそ、自由にものを考え、国家体制を考えるところから始めなければならない。



 
 
 

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