運動の名称について
- 悠樹 阿部

- 2020年5月13日
- 読了時間: 1分
更新日:2020年5月14日
「Cubic Argument」すなわち、「<戦後レジーム>の党派性に巻き込まれて惻隠の情を失うことなく、自由に政治を考えることができている日本人が、多角的な議論を持ち寄って<対話>をすることで政治行動につなげてゆくこと」は今後も私たちの運動方針であることに変わりがありません。
ただ、私たちはあくまで日本において政治運動をするのですから、英語の「Cubic Argument」ではなくて、この精神を端的に表現する日本語を会の名称とすべきです。グローバル化の時代において、非英語圏の諸国においては、リンガ・フランカたる英語を使って語ること自体が権威となっているように思われます。
私からただちに提案することはできませんが、運動の名称を探究することも私たちの当面の目標とすべきです。
令和2年5月13日 阿部悠樹




キーワードのメモ
自律・対等・日本
「自由」「平等」はこれまでの政治の流れの中で陳腐化して無内容な記号になっている。
「自律」「対等」という新しい言葉を使うことで、人々がものを考えるきっかけになるかもしれない。
<迎合>としての「中道」ではなく、自律と対等の<中道>
(田中大君)
「自由」ではなく「自律」:自分のことは自分で考えて決める、他者に依存しない。イデオロギーの内部にいる人間は自律した思考していないから、これは反イデオロギストという意味も含む。 「平等」ではなく「対等」:「平等」とは差異のない「個」同士の間にしか成立しない。差異を認めないことは他者の他者性を隠滅する態度である。自律した異なる者同士の「対等」の倫理が必要。 これらは個々の日本人同士についてはもちろん、日本という国と他国との関係についても言えるでしょう。安全保障を他国に依存したり謝罪外交を行うのは自律と対等に反します。